文の其方

文を吟ってます

フェニックス

3年生の春休みから中1の途中まで、英語は習った。

小学生の間は会話や遊び中心の内容で、楽しかった。

毎回1つの単語も文章も聴き洩らさない様に、一生懸命だった。

母が行かしてくれた英語。
1秒も無駄にしない。

そんな気持ちで1杯だった。
そんな健気な気持ちは今でも今の事みたいに、鮮やかに切ない位に蘇る。

心からの気持ちはまるで、不死鳥みたいだ。

ドア

納得はいかなかったけど、習いたかった。

1万5千円を通帳からおろした。

初日の日、馴染みのショッピングセンターの2階の1室に時間通りに行ったけど、ドアを開けたら広いとも言えない部屋で、お母さん達の背中が塀のようにそびえ立ち、何人かが振り返った。

やっぱり皆、お母さんと来るんや…一緒に来てほしいと頼んだけど1人で行くようにと言われた。

不安だった。
知った場所の中ではあるけど、初めての場所。

1度家に戻り、多分その旨を話したと思うけど、また1人で戻った。

遅刻だった。
勇気を出してもう1度、ドアを開けた。

一斉に皆がこちらを見た。

アイム ソォリー アイム レイト

私が初めて覚えた英文だった。

ダブルバインド

その当時、英語を習うのはまだ特別な事で、私はとても驚いたし嬉しかった。

ドラえもんの英語やで。の言葉に更に有頂天になった。

いいの?

いいよ。

このやり取りが嬉しかった。

程なく英語の営業の男性が店に来て、教材やらシステムの説明をしにきてくれた。

月謝には問題なかったようだけど、教材費が3万円した。

母が言った。
教材費は、自分で出しなさい。

私は驚いた。

じゃあ、せめて半分出しなさい。

交渉して半分になったと思う。


3年生にとっての1万5千円は大きかったし、コツコツ貯めたお金のかなりの部分が無くなってしまう。

それに嫌だった。
習わしてくれるって言うたやん。

帰宅した父にも言われた。
お前の英語習いたいんは、その程度の気持ちか?
自分で金出すんがそんな嫌か?
みたいな事。

自尊心が傷ついて疼いた。

習いたい。
でも納得いかない。
砂を噛むような気持ちだった。

今、思えば見事なダブルバインドだった。





英語

英語を与えてくれたのは小学3年生の春休みだったと思う。

彼女は自宅の1階で仕事をしていたのだけど、その合間に自宅の2階に上がってくる事があった。

立ち仕事の彼女は、よく私に足を踏ませたりした。

その日の午後も彼女はうつ伏せになり、私に足を踏ませた。

ずっと足を踏み続ける作業は疲れるけど、大体の場合彼女の機嫌が少しよくなるから、私はこの作業に少しは喜びを感じていた。

日当たりの悪い西向きの家にも、柔らかな日差しが差し込む春の日だった。

縦並びに部屋が3つ並ぶ内の真ん中の部屋で寝そべり、リラックスした様な感じで彼女は言った。

英語を習ってみる?

コロンボ

もう少し喋れるとよかったのにねぇ…

と英語の喋れない母が私に言う。

私は複雑な気持ちで一杯になった。

もう少し喋れたらな…

それは、私も思うところ。

その国の公用語シンハラ語

私は片言の英語しか話せない。

だけど、精一杯話したんだよ。

片言でしか話せない劣等感と葛藤しながら。

私から英語を奪った貴女がそれを言うの?

私に英語を与えて

奪った貴女が。

アンマ

セレブレーションの朝。

私の母とアンマが椅子に個々に並んで座っていた。先にアンマが私の左手に目に入った。

アンマ!キレイ!
私は感嘆の声をあげた。

アンマは赤い衣装を身に纏い、金でできた腕輪やネックレスで飾っていた。

アンマは、ゆったりと寛ぐ様に座っていた。

穏やかに微笑んでいた。

美しかった。


お次は右手に目に入った、私の母。

母は深い緑色の衣装を身につけ、太いゴールドのチェーンに大きなペリドットの石を通した首輪をつけていた。

母は、どや顔でどや?!という感じで私を見た。

寛ぐというよりは、のさばるという感じ。

醜かった。

緑色のヒキガエルがのさばり返っていた。

アンマをキレイ!と言った手前、褒めない訳にはいかなかった。

綺麗な衣装だね。新しく買ったの?

当たり障りのない言葉で、嘘のない言葉を発するのが精一杯だった。

母は満足そうに頷いた。


シャンティランカ

その夏が来る少し前から漠然とわかっていた。
もう限界なんだって事。
もうこれ以上この人達とは一緒にいれない事。

この夏の旅行が、この人達との決別の旅になる事も。
インドの横の小さな島。
私にとって大切な国になった。

私が欲しかった、生きるという事を皆が生々しくも様々に生きていた。
湿った空気の中で皆が、艶かしく自分達の命を生きていた。

貧しいのはどっち?
私達だった。